島根(出雲・・・)

鰐淵寺の紅葉を見に行って来ました!

こんにちは、クラシカルです。

紅葉の見頃な季節になってきたので、近くで紅葉がきれいな鰐淵寺に出向いてみました。

鰐淵寺は、紅葉を見る以外にも色々興味深い話があるようです。

 

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そもそも鰐淵寺ってどんなお寺

出雲地方の紅葉の名所として有名な鰐淵寺(がくえんじ)ですが、漢字が読みにくいこともあり、『わにぶちでら』と読む人も多いこと多いこと。

鰐淵寺を開いた智春上人が、浮浪の滝のほとりで修行をしている時に、誤って仏器を滝壺に落としてしまったところ、鰐(わにざめ)がエラに引っ掛けて取ってきたことから『浮浪山鰐淵寺』と名前が付いたようです。

鰐淵寺は、推古2年(594年)に信濃国の智春上人(ちしゅんしょうにん)が、推古天皇の眼の病を治すために、浮浪の滝に祈ったところ良くなったので、祈願成就のお礼に建立されたお寺だといわれています。

クラシカル
クラシカル
あまり歴史に強くないけれど、聖徳太子が活躍した飛鳥時代に建てられたお寺だと知ると、ちょっとスゴイですね!

弁慶が修行した寺?

鰐淵寺は天台宗の由緒ある古い寺で、平安時代末期には修験道の霊地として広く知られ、室町時代までは栄えていたようです。

あの武蔵坊弁慶も修行僧の一人で、弁慶が修行したという伝説も伝えられている鰐淵寺。

18歳から3年間ここ鰐淵寺にて修行をして、その後京都の比叡山へと移り、牛若丸(源義経)との運命的な出会いをしたと伝えられています。

文治元年(1185年)、壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした弁慶は久し振りに鰐淵寺などへ里帰りをしました。

師の使いで大山寺(現在の鳥取県大山町の山中にある寺)へ行ったところ、大山寺の僧が「一夜のうちにこの釣鐘を持ち帰るならあげよう」と言ったので、釣鐘がほしかった弁慶は、釣鐘をかつぎ、鰐淵寺まで約101kmある山道を一晩で持ち帰ったといわれます。

【 この話がことわざに 】

弁慶は大山寺の釣鐘を担ぎ棒の後ろへ吊るし、前には提灯を下げて一夜のうちに鰐淵寺まで持ち帰ったという伝えから出来たことわざ。

「提灯に釣鐘」・・・釣り合いが取れていない、比較にならないことのたとえ

クラシカル
クラシカル
弁慶が修行に来るくらいのお寺なんですね。

 

八百屋お七の墓がある?

八百屋お七の話は諸説あるので、どれが本当なのかはわかりませんが、鰐淵寺の参道を歩いていると、お七と吉三郎の墓が並んであります。

八百屋の娘のお七は、天和の大火(1682年)でお寺に避難した時に、一人の男と出会い恋をします。

やがて再建された家に戻り、二人は離れ離れになりますが、男のことが忘れられません。

その思いが募り、もう一度火事になれば会えるかも知れないと思い、放火をしたと伝えられています。

当時放火は死罪だったので、結局お七は火炙りの刑に処されたようです。

その後は諸説あるようですが、ここ鰐淵寺では、お七が恋をした吉三郎がお七の遺骨を持ったまま供養の旅に出て、この鰐淵寺で亡くなったと紹介されています。

クラシカル
クラシカル
こんなところで八百屋お七に出会うなんて不思議な寺ですね。

紅葉はどうなの?

鰐淵寺のもみじは、切れが深く、葉が小さい『イロハモミジ』という種類です。

仁王門から本坊までは紅葉の並木が続き、本堂へ続く石段には深紅に染まるトンネルが見応えがあります。

見頃は11月中旬頃からで、この時期には『鰐淵寺紅葉まつり』が開催されます。

『鰐淵寺紅葉まつり』は、とても人気なので土日は、かなりの交通渋滞を引き起こしてしまうので注意してください。

クラシカル
クラシカル
数年前までは、駐車場も入場も無料だったのですが、これだけの寺を管理するのは大変なので入場料が必要になり、さらには駐車場代も必要になりました。

 

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