出雲大社の正面にある石段をあがり二の鳥居をくぐると、左右に大きな広場があります。
この広場は「勢溜・せいだまり」といわれますが、その名からして不思議な感じがしますね。
そのため「勢溜」と周辺情報を調べましたので、是非ご参考にお願いします。
出雲大社 勢溜(せいだまり)
出雲大社「勢溜」と、勢溜の周辺情報になります。
勢溜の由来
そもそも勢溜とは「武者だまり」ともいわれ、軍を集めるために一定の広さを持った軍勢が待機する場所をいわれます。
そのため、出雲大社に勢溜の名があるのは、不思議に感じてしまいます。
実は、出雲大社「勢溜」は 江戸時代では芝居小屋などが多数あり、人の勢いが溜まる場所として名付けされたそうです。
富くじ
そして 松江藩は、年2回 祭礼にあわせて「富くじ・今でいう宝くじ」を境内にて開催されました。
この「富くじ」を求めて多くの参拝客が押し寄せたことも、人の勢いが溜まる「勢溜」の由来に結びついたそうです。
二の鳥居(勢溜の大鳥居)
出雲大社の二の鳥居は「勢溜の大鳥居」ともいわれています。
以前の二の鳥居は「木の鳥居」でしたが 老朽化と安全性などを考慮され、2018年10月に「平成の大遷宮」の一環として建て替えとなりました。
現在の二の鳥居は、耐候性に優れた特別な鋼材で建てられた鳥居(鉄の鳥居)です。
そして「勢溜の大鳥居」は、出雲大社の正門としてその役割を果たしています。
一の鳥居から四の鳥居
出雲大社には「一の鳥居」から「四の鳥居」まで、4つの鳥居があります。
それぞれの鳥居には、素材に違いがあります。
- 一の鳥居(石の鳥居:神門通り宇迦橋)
- 二の鳥居 以前は木の鳥居でしたが、2018年に鋼材(鉄の鳥居)に建て替え。
- 三の鳥居(鉄の鳥居:出雲大社境内)
- 四の鳥居(銅の鳥居:出雲大社境内)
ご参拝の際には、4つの鳥居も確認してくださいね。
神門通り・出雲大社の参道
出雲大社正門からみた、神門通り・出雲大社参道の風景です。
神門通り
遠くにみえる大きな鳥居は、出雲大社の一の鳥居(石の鳥居)です。
現在(2022年6月)は、宇迦橋(うがばし)の架け替え工事とともに、補修作業がすすめられています。
出雲大社の神門通りは、約700mの表参道です。
神門通りの左右には、出雲そば・出雲ぜんざい、お土産店などなど、様々なお店が軒を連ねるメイン通りになります。
出雲大社の参道
出雲大社正門(二の鳥居)をくぐると、下り参道がつづきます。
下り参道の途中右側には「祓社・はらえのやしろ」があり、下り参道の終わりのは「祓橋・はらえのはし」になります。
この祓社・祓橋で心身を清め「三の鳥居(鉄の鳥居)」「手水舎・てみずや」にて、最後に口・手などを清めます。
そして「四の鳥居(銅の鳥居)」をくぐり、正面にある「拝殿・はいでん」に向かいます。
千家尊福(せんげ たかとみ)公の銅像
出雲大社 勢溜の東側奥に、千家尊福(せんげ たかとみ)公の銅像があります。
千家尊福公(1845年9月7日~1918年1月3日)は、宗教家・政治家であり、第80代出雲国造・出雲大社宮司。
1882年 神道大社教(出雲大社教)の創設者でもあります。
政治家としては、埼玉・静岡・東京の知事を経て、司法大臣などを歴任されました。
そして、お正月になると良く歌われる「年の始めの例(ためし)とて」から始まる、唱歌「一月一日」は、千家尊福公の作詞なのです。
境内のうさぎ!
出雲大社 勢溜の周辺には、たくさんの「うさぎ像」があります。
ハートをもったファミリーうさぎも、皆さんのお越しをお待ちしていますよ!
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